絵は好きなんだけど

私が良く話すこと、それは幼少期の頃が多い。
けど、聞く方はさほど興味は持たないだろう。
なぜなら私が幼少期の頃を話すのは暴露大会にはならず、
どちらかというと自分探しのきっかけになるからだ。

6才、就学前の頃だった。
なんでか、フィギュアスケートの選手の絵を描いた。
印象的だったのは、選手は女性で、スカートを虹のデザインであしらった、母が喜ぶようなものを描いたらしい。
母は喜んでこの絵を丸めて私をある所へ連れて行った。
近所のとある家だった。
私はなぜここへ?と疑問に思ったが、そこはまだ子供だ、分かるはずもない。
数日後、私は「おけいこですよ。と言われ、クレパス(クレヨンではない、ここが肝心)を持って行った。
おけいこが始まった。毎週一回だった。
描いた。
直された、えええ?
で、これが4年続いた。
描く絵描く絵、次々と直され、
直しなしは2回くらいではなかっただろうか?

そこで私はある友人と知り合った。
お城の絵を描かせると日本一ではなかろうか、と思う位、
絵の上手なお兄さんに会った。年は一つ上だった。
そのお兄さんとは「いじめられてる。」という事が共通項だった。
学校は同じではなかった。
そのお兄さんと良くしゃべった。
そして先生に怒られた。
「絵を描きなさい!」と。
そのお兄さんは違うクラスにすぐ移された。
あまりに絵が上手だったからだろう。
なぜか私は孤独な戦いが続いた。
4年生になって
中学受験をしましょうと両親に諭され絵のおけいこをやめた。
私は「いつでも描ける。」と思ってあっさりやめた。
…、
でも私の絵の神様は、私の頭上にそれからほとんど降りてこなくなった。
描きたいという衝動が少なくなったのだ。

私はなんでもがんばる人だったので、
芸術に関しては音楽か美術か高校の時に迷った。
そんな時先輩の噂話を耳にした。
どうやら、勉強時間を確保するなら音楽がいいと。
私はそのうわさ話をうのみにして音楽を高校3年の時に選んだ。
1年2年は美術だったが、美術って絵だけじゃ無い。彫刻や粘土細工やデッサンなどがある。
私は分かった。
私は絵は好きだが、美大生になる資質がまるでない、と悟る。
それ以来、さほど美術館に足しげく通う事もなく、
描きたい衝動がめったに起こらないまま時が過ぎた。

今思えば
孤独や卑屈が絵への衝動を駆り立てていたのかなと思う。
現に
一人ぼっちで描いた神戸大橋の絵は、某新聞社で賞を取った。
絵って、幸せに満ち足りた精神状態の時、いい絵がかけるんだろうか?
どっちかっていうと、つらい時の方がいい絵が描けているらしい。
けど、その状態で、絵のためにそんな精神状態を保つのはいのちを短くしないか?

時々思うのだ。
絵が私の幼少期を慰めてくれ
バスケットボールが私の若き日の衝動を正当化し
学問が私の青春を支え
英語がいつでも私を夢見させてくれる。

つらくなったら、また絵を描いてみよう。
目指すものはないけれど。

それではこの辺で。